僕はメディア装置の表現が好きな理由は,作家の個の消失とコンテンツなき抽象性にある.それはコンテンツ性に頼らず機能的な主体を取り戻し,鑑賞者に追体験させるメタ機能だ.それは文脈とビジュアルデザインの無間地獄が作るパズルゲームを超えたものに思えたのだ. メディアアートの制作で,風景の一つとして過ぎ去っていく瞬間と瞬間が物質性を伴って現象に変換され,その展示自体も風景にされて行く.一連のプロセスを感じながら過去に変換することが好きだ.アナログな身体と物理現象の中でそこにあるデジタルを研ぎ澄ます.デジタルでしか見えない世界認識で,失われつつあるものを切り取り,手触りを与えるプロセスを通じ,時間と空間の解像度との対話するときのみ,自己のアナログな精神を実感する.そんな風景とメディア装置に関わる世界認識について,光学定盤のキャンパスの上に詩的なプロセスで切り取り,インスタレーションの連作で表現する. 現実世界で起こる光の屈折とそのボケを通してみる世界に感じる憧憬.ガラスから漂うアナログの空気感,非デジタルの光感覚への憧憬.成長する結晶構造に時間の連続性を感じる.
落合陽一